積川神社 鎮座
岸和田市積川町350番地
tel: 0724-79-0134
積川神社御由緒略記 トップページに戻る
御祭神
本 社 ・生井神 ・栄井神 ・綱長井神 ・阿須波神 ・波比岐神
境内社 ・天神社 (菅原道真公)
・八坂社 (須佐乃男命)
・白髪社 (猿田彦命)
・戎 社 (事代主命)
 当神社は第十代崇神天皇の御代にこの地に創立され、地名は前に牛滝川、後ろに深山川と
高低相会する地に位するので積川の称があります。
 延喜式内社で和泉五社に列し、歴代天皇の勅願社として、又、武将の崇敬も厚く、天正の頃
まで社領六百石を有していましたので、各式の高い神社であることが想像されされます。社域は
府道牛滝街道に接して一段の高所を占め、二五〇〇坪の広さの境内を有し、古木森然とした
中に本殿(三間社流造・屋根檜皮葺)があります。建築年代は詳らかではありませんが、慶長
七年、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として大修理を加えられ、現在にその様式を伝える
桃山建築の優雅広大なこと、特に高欄の彫り物の鮮かなことは美の極致とされています。

 この本殿は大正三年四月に特別保護建造物(国宝)に指定されました。

 社宝として神像(木造・重文指定)、淀君奉納の神輿(重文申請中)、楠正儀寄進の石灯篭、
古鏡の他、寛治四年、白河上皇が熊野へ行幸の途、熊野街道から積川神社を遥拝され、芝草を
積んで舞台をしつらえ、舞楽を奏された時、鳥居に掲げられた扁額の筆蹟が拙いのをご覧にな
り、親しく筆を執られて「正一位積川大明神」の八字を大書され、これに代えられたと伝えられる
有名な扁額があります。

額の地名の由来

 積川神社の氏地は、旧山直上村・山直下村・八木村・北掃守村の四ケ村(牛滝川に沿って
磯の上まで)でした。 そこで、遠方の氏子の人たちは、中間点にあたる現在も鳥居のある場所
(岸和田市額町)から、朝夕積川神社を遥拝して農作物の豊穣と家内安全を祈願しました。
 又、その地は熊野街道(現 府道大阪和泉泉南線)にあるので、熊野参詣をする皇族・公家
の方々がこの地から勅願社である積川神社を遥拝され、旅路の安全を祈願されました。
 寛治四年、白河上皇が熊野行幸の途、積川神社を遥拝された時「正一位積川大明神」の
扁額を鳥居に掲げられました.この「額」と、人々がこの地で「額づく(拝む)」という二つのことから、
この地を 「額」と名付けられました。


お神輿の渡御(おわたり)

 
毎年、神社の祭典が終わると、神霊をお乗せしたお神輿が御旅所へ 「おわたり」するのが
ならわしで、この時、遠方の氏子の人たちがその場所へ行って神輿にお参りします。 このように、
神霊を安置する場所を御旅所といいます。

 昔、横川神社の御旅所は浜辺にありましたが、岸和田城主が入城されてからは、現在の鳥居の
ある遥拝所に移されました。




積川神社宮司 積川敏文